風本真吾の健康談話

医療の高騰と死に際の覚悟、コレステロールあれこれ

私が大学院生の時代に、一緒に机を囲み、動物実験に取り組んでいた西崎泰弘先生(東海大学医学部教授)が、先日テレビに出ていました。カプセルを内服して大腸の中を映し出す検査、CT撮影で大腸の中を三次元的に映し出す検査を紹介していました。内服したカプセルは、そのまま便とともに排出して使い捨てにできるようです。
医療の進歩というよりも、医療をめぐる工学技術の進歩ということになりますが、いずれにしても医療周辺産業の進歩には驚かされます。どれほどの開発コストをかけても元が取れる産業になっていることの証です。

産業といえば、国民医療費は増える一方で、ついに3兆円を突破しました。高齢化社会が進行していますので、増えていくのは当然かもしれませんが、末期医療に対する金銭消費に関して、本当にこれでいいのだろうかという思いが高まります。

昔、自力で食べられなくなることは死んでいくことを意味しました。今は食べられなくなっても、介護は充実し、医療も提供されますので生きながらえます。もちろん、家族は一分一秒でも長く生きていてほしいと願うのが当然ですので、フルに介護サービス、医療サービスが提供されます。その結果、死に際を迎えた当人に莫大な医療費が注がれます。その医療費は、全国民から広く徴収していますので、国民の疲弊が進みます。
一方で医療機関は莫大な収入を得ます。その収入が巡りめぐって、医療工学の進歩を下支えしますので、いいのか悪いのかの議論は果てしなく続くことでしよう。

死に際の在り方に関して、皆さんはどのように考えていますか?私は自力で食べられなくなった後の介護を受けている自分の姿を人前にさらしたくないので、そうなったときは「早く死なせてくれ」と思うような気がします。しかし、その時になってみないとわかりません。

どちらにしても、最近は健康管理指導上のことで、「死に際の医学」のことをよく考えるようになりましたが、考えているうちにだんだんと死が怖くなくなってきました。「いつ死んでも、どうってことはない」という感じです。毎日考えているだけで、死ぬことがどうでもよくなってくるのですから、実際に戦闘現場で死を日常のように見ていれば、死ぬことは怖くもなんともなく、どうでもよくなってくるのは当然なのかもしれません。

皆さんも、死に際の医学を学んで、毎日勉強してみると死が怖くなくなるのではないかと思います。一種の麻痺状態とでもいうのでしょうか。そういえば、戦国時代の一向一揆は死を恐れない集団だったようですが、その辺の心理を巧みに利用した宗教だったのかもしれません。

ところで、健康管理の分野においては、「コレステロールの薬が無意味であった」ということが世界的な話題になっています。
日本では、健康診断や人間ドックで一生懸命にコレステロール値の高い人を探しています。そして、コレステロール値が高い人を見つけたら、「コレステロールが高いですね。お薬を飲みましょう」とすすめます。
このコレステロールの治療薬は、年間3000億円の売上を誇っています。それが無意味だったというのですから、延々と内服していた人は、どのような思いを抱くことでしようか?当人は、「このままだと、心筋梗塞を起こしますよ」と担当医に洗脳されていますので、今さら薬を止めることには抵抗があるでしょう。
コレステロールをめぐる話の詳細はこうです。
コレステロール値が高い人は、心筋梗塞の発症率がコレステロール値の低い人の2倍ほどある。だから、コレステロール値が高い人は、薬を飲んでコレステロール値を下げましょう。すると、心筋梗塞の発症率は2分の1に低下するというのが従来の説。
しかし、薬を使ってコレステロール値を下げても、心筋梗塞の発症率は低下しなかった。
なぜだ?
結局、身体の中に「ある問題」があって、その大元の問題のせいで、心筋梗塞の発症率が高まると同時にコレステロール値も高くなっていた。コレステロールの薬は、「大元の問題」の結果論にすぎないコレステロール値を下げているだけで、大元の問題を解決していないから、心筋梗塞の発症率は低下しなかった…ということなのです。

じつは、このデータ。すでに2008年には、はっきりしているのです。以来7年が経過しています。日本政府と医師会は、国民に対してその事実をひた隠しにしてきました。なぜ、隠してきたのか?
皆さんで考えてみてください。
健康保険制度においては、医療者善人論は通用しないのかもしれません。返還訴訟を起こそうとしない一般国民のほうがよほど善人な気がします。データが出されてからの7年間で、すでに2兆円が医療機関と製薬会社、薬局の懐に入っています。その分、国民の疲弊は進んだようにも思います。

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