診療メニューの進歩

診療メニューの進歩

四谷メディカルサロン(四谷メディカルクリニック)は、自由診療を営んでいます。それも内科領域の自由診療であり、美容外科などではありません。国民皆保険制度が行き渡ったこの日本で、どんな診療内容(メニュー)が自由診療として成り立つのでしょうか?
メディカルサロンの歴史とともに、その辺を語ってみたいと思います。

プライベートドクターシステムの誕生

平成4年4月、私が医師になってまだ4年目(28歳)のときに、私は慶応病院の内科外来の担当を命じられました。おそらく慶応病院史上、最年少の内科外来担当医です。その外来を遂行する中で、健康保険制度下における診療現場に対する3つの疑問を感じとりました。

  1. 患者の健康、人体、医療に対する知識が乏しすぎる。知識が乏しいために、検査漬け、薬漬けにせざるを得なくなっている。患者の知識を高めてあげれば、何の不安もなく、通院する必要もない患者が大勢いる。しかし、診療現場では、様々な制約のために、患者の知識向上に取り組む活動を行うことができない。
  2. 予防医学が未熟すぎる。人間ドックなどは、「健康保険制度で治療できる病気が潜んでいないかどうか」をチェックする健康保険医療の前衛機関程度にすぎない。本来、患者が求めているものは、自己の身体の未来予想を含むもっとレベルの高いもののはずである。そして、一般の人に提供するべき予防医学の究極は、検査を経たうえでの健康管理学教育に至るはずだ。それを実践できる診療現場がない。
  3. 診療現場というのは、健康保険制度の運用現場に他ならない。公的資金の運用であるから、合理的節約の中での最大効率を追求しなければいけない。しかし、診療現場にその気配はない。これは医療構造上の問題である。

それぞれの詳細は、過去の「診断」に掲載していますので、バックナンバーに譲ります。

1.を何とかしようと思い、平成4年の7月には慶応病院の外来の通院患者に対して、診療以外の場を設けて、無償で家庭教師業を始めました。自分の身体のことがよくわからず不安心理が高まり、薬漬けになっている患者に一人ずつ声掛けして、家庭教師を実践したのです。
その効果は絶大で、自分の身体に納得した患者は不安心理を払拭(ふっしょく)し、薬漬けから解放されていきました。思えば、「病院組織の売上(保険点数)獲得という観点から見ると、背任行為であった」のかもしれません。
当時、慶応病院の近くのマンションの一室を借り、電話応対を兼ねて看護師も雇用していましたので、固定費用がかかり、無償で行っていたこの活動もいつまで続けられるのか、とても不安であったのを覚えています。
外の病院へパートに行き、必死の思いで資金繰りを成し遂げるしかないという悲壮な覚悟を持っていたものです。しかし、なぜか「この活動はいつの日か、望んでくれる人の支持を受けて世の中に定着するはず」という夢だけは持ち続けていました。
平成4年の9月末ごろ、慶応病院を退院したばかりのある経営者に、いつもどおり家庭教師的な知識教授を行いました。すると、その経営者は、叱咤激励的に諭してくれました。
「風本先生、このような活動を無償で行ってはいけません。先生が行っていることは、私のような経営者にとっては、まさに待ち望んでいたことだ。正々堂々と料金を定めてほしい。そうしたら、あなたの医療サービスを求める知人をたくさん紹介することができる」
有料にしてくれたら知人を紹介できるという話は、当時の世間知らず(?)の私には衝撃的な話でした。

どのようなシステムにするかずいぶんと悩みましたが、
「一人の人の健康を生涯にわたって見ていこう。定期的にお会いして、検査で身体を調べながら、それごとに健康、人体、医療のことを学んでもらおう。身体に本格的な病的異変があったときは、大病院に委ねることになるけれども、その場合は、顧問医師的な立場で治療経過を見守らせてもらおう。急病のときや、健康不安が生じた時は、すぐに電話連絡をとれる体制にしよう」
と思い定め、そのシステムをプライベートドクターシステムと名付けたのです。生涯にわたるお付き合いが基本になりますので、「会員と私との友誼関係を土台としての健康管理指導」と標榜した思い出などもあります。それが、平成4年の11月ごろであったように思います。
以後2~3年は、このプライベートドクターシステムに入会する人はごく少数でした。関心を持って話を聞く人は多くいるのですが、
「確かに、システムは理想的だ。しかし、設立して間がない。資金繰りが苦しくなって、そのうち、消えてなくなってしまうであろう」
とほとんどの人は思ったようです。冷静に考えてみると、そう思うのが当然かもしれません。それだけに、当時に入会してくれた人とは、今でも、沈黙の固い絆を感じています。
さて、事業を継続させることができたのは、創業後2~3年の資金繰りを成し遂げたからですが、そこで大きな役割を果たしてくれたのが、次に述べる体重管理指導のシステムでした。

ウェイトコントロールシステムとマジンドールダイエットシステム

平成4年の暮れから平成5年にかけて、ある業界新聞社の社長がプライベートドクターシステムに入会しました。体重106kgの身体を持て余し、10種類の薬を内服しています。薬はすべて、コレステロール、尿酸、高血圧、糖尿病などのメタボリック系の薬です。治療にあたる医師の立場では、体重管理をしっかりと行ってもらって、薬を減らすことを考えるのが当然です。しかし、薬を減らす、というのは、診療現場の遂行に対しては利益相反現象となるので、医師はダイエット指導に関して本腰を入れません。健康保険制度下の診療現場では、「体重を落としてください」と指示して、「栄養士の指導を受けさせる」という通り一遍の作業しか行いません。

「一人の人の生涯の健康を見守っていく」というプライベートドクターシステムの立場では、それは非常に困ります。医師が自ら奥深く理屈を習得し、ダイエット指導を患者と1対1の真剣勝負の場と捉えて、ねっちりと指導を行わなければいけないのです。
私はその会員と一緒に食事をする、一緒に旅行に行く、というのを繰り返しながら、そして日ごろの生活も共にする中で、「太ってしまう人」の生活特性、精神的習性を深く悟る努力をしました。その結果、医学部や大学病院では決して学ぶことができないダイエット指導の技術の真髄を身につけることができたのです。この時に習得した技術が、創業後2~3年の資金繰りを成し遂げさせてくれたのです。

ちょうどその頃、タイミングよく、医療用の食欲抑制剤「マジンドール」が診療現場で利用できるようになりました。その会員への指導の後半は、このマジンドールを利用する技術習得へとつながり、結局、106kgの体重は86kgへ、10種類の薬は半減することに成功しました。
マジンドールという薬は単に内服させるだけでは効果がしれています。当意即妙の指導が伴って、初めて最大の効果を発揮することができるのです。その指導技術を身につけたことが、その後のダイエット本のベストセラー執筆へとつながったのです。紀伊国屋書店で文庫本部門で16週連続1位になった『お医者さんが考えた朝だけダイエット』(三笠書房、平成12年)の内容は、私が身につけたダイエット指導の技術のほんの一つにしかすぎません。
平成5~7年には、体重管理指導を行うウェイトコントロールシステムは、紹介が紹介を呼んで、大きな盛り上がりを築くことができました。ウェイトコントロールシステムは必ずしもマジンドールを利用するものではありません。私が身につけた指導技術、心理戦のやり取りを駆使して、体重管理指導を行うもので、マジンドールの利用はその一環にすぎないというタイプのものでした。
しかし、人の噂というのは面白いもので、「やせ薬」としての「食欲抑制剤マジンドール」が独り歩きし始めます。最初から、「いろいろなダイエットに取り組んだけれども駄目だった。マジンドールを処方してほしい」という望みを持って来院する人が増えてきました。
そこで、平成8~9年のころ、患者の望みに応じて、最初からマジンドールを利用するダイエット指導システムである「マジンドールダイエットシステム」を分離し、運営するようになったのです。マジンドールは、「食べなければ痩せる」というシンプルな身体現象を実際に経験してもらい、「私はそんなに食べてないはずです」という言い訳を封じるのにずいぶんと役立ちました。つまりダイエット教育の最も初歩的事項を実戦経験してもらうのに役立ったのです。
便利なことに、この薬は「耐性」といって、内服しているうちに効かなくなります。ですから、たいていの人は2~3か月で薬をやめることができ、短期指導の絶妙のシステムとして君臨することになりました。
平成20年にどれくらいの患者が、私のダイエット指導を求めて来院したかを調べたことがあります。結果は、7117人でした。そして、そのうち1912人にマジンドールを処方していました。来院者の3分の1から4分の1にマジンドールを処方したことになります。逆に言えば、3分の2から4分の3は、薬なしでダイエット指導を成し遂げたのです。

EPA体質づくりを健康管理の基本に据える→後には会員制のEPA-style

平成5~7年の体重管理指導が板についてきたころ、私は「人の体質」に関して、医学部や大学病院で学ばなかった新しい現象に直面しました。
ダイエット指導を行って、体重を5kg落としたとします。しかし、1年くらい油断すると、リバウンドして元の体重に戻ってしまうことがあります。この一度はダイエットに成功したけれども、またリバウンドして元の体重に戻ったという場合の、プライベートドクターシステムの会員の血液データが、ダイエット前と後とでは大いに異なっていたのです。
当時、私は青魚成分のEPA製剤に注目していました。EPA製剤は、血小板凝集能力を低下させ、赤血球の変形能力を高め(つまり、血液サラサラ)、動脈の弾力性を高めることが知られています。これは心筋梗塞、脳梗塞の予防に有効です。診療現場にEPA製剤が出回ったのはちょうどこのころでした。※EPA=エイコサペンタエン酸
「会員の生涯の健康管理を見守っていく」という私の立場では、このEPA製剤を無視するはずがありません。プライベートドクターシステムの会員には、EPA製剤の摂取を奨めていました。
EPA製剤を内服している人が、ダイエットに取り組んでいったんは成功したけども、リバウンドしてしまい、また元の体重に戻ったというときの前後の体質は根本的に異なります。
私はその時に悟りました。
「そうか。脂肪だ!!身についている脂肪は、食べた脂肪の影響がそのまま現れる。そして、身についている脂肪の種類が体質を決めているのだ」
ということを。
ダイエットに取り組むと、もともとついていた悪い脂肪がごっそりと減ります。そして、次に太ってしまうときにEPA製剤を摂取していたら、再び増えた脂肪の中に良性の脂肪であるEPAがたっぷりと入り込みます。つまり、身についている脂肪は、EPA含有量の多い良性脂肪となり、それが血液と平衡状態を作ることにより血中のEPA濃度を高め、その結果、体質が変わるのです。
心筋梗塞、脳梗塞、大腸ガン、前立腺ガン、乳ガン、子宮体ガンなどが減り、皮下血流が増えることから皮膚の衰えがなくなっていくEPAの効果、作用などの詳細は他に譲りますが、要するに不老長寿型の体質に変わるのです。
そのころから、採血の際にはEPAを含む脂肪酸の血中濃度をもれなく測定するようになりました。そして、測定結果を踏まえて、平成9年頃に、高濃度のEPAサプリメントである「メディカルサロンのEPA&DHA」の開発に成功しました。
プライベートドクターシステムの会員の健康を守るために開発したサプリメントですが、その後、「EPA体質」とその正反対の「アラキドン酸体質」が私の著作を介して世に広まったことにより、「健康管理のために、このサプリメントを利用したい」という多くの声に応え、平成15年ごろから、EPA-styleという会員制システムを構築し、運営するに至りました。

プラセンタ注射の登場と普及・・・プラセンタエレガントクラブ

誰が私に吹き込んだのか覚えていませんが、私は創業時から胎盤エキス製剤のことを知っていました。胎盤エキス製剤は、診療現場では健康保険下で肝臓治療に使われます。もともと肝臓系の研究室にいた私ですから、何かの拍子で学んでいたのだと思います。
胎盤エキス製剤の目的は、原理的には再生医療です。平成4年の当時は再生医療という語は用いられていませんでしたので、「若返り」的な表現しか用いていなかったように記憶しています。
人の身体は60兆個もの細胞でできていると言われますが、元は精子と卵子が合体した1個の細胞にすぎません。そのたった1個の細胞が人体を構成する多種多様なすべての細胞の大元になっているのです。このような細胞を杯細胞といいます。あるいは幹細胞といわれることもあります。
杯細胞は、人体を構成するあらゆる細胞に分化(変身)することができます。その分化を促す成分が胎盤には含まれており、それを抽出したのが胎盤エキス製剤です。
血液中には杯細胞が循環しています。骨折したときなどは、骨折面に杯細胞がずらりと並んで、その細胞が骨の細胞へと変身していきます。その結果、骨折の治療が進むのです。
この胎盤エキス製剤を投与すると、血液中の杯細胞がいろいろな臓器に入り込みやすくなり、その臓器の細胞へと分化し、再生を促すと想定できます。目に見える皮膚の再生は、女性にとっては極めてうれしい効果になります。皮膚に対しては再生だけでなく、セラミド合成の促進などいろいろな効果がありますが、その詳細は別に譲ります。
平成5~6年のころ、プライベートドクターシステムに入会する女性も現れました。あるいは会員の奥様も来院するようになりました。
その人たちが望んだのは、第一に容姿の若返りです。それに応じて「エリザベス点滴」を考案し実施するようになりました。この点滴がまさに胎盤エキス製剤を使用したものでした。
当時、私自身は容姿管理に対して積極的ではありませんでした。要求されたらやるという程度のものでしたが、エリザベス点滴は一度受けた人が効果をすぐに実感できるようで、細々とですが継続されていきました。
平成8年のころ、あるスタッフが加入しました。そのスタッフが、胎盤エキスを注射で打ってほしいというのです。打ってみるとすぐに効果がわかったようでした。
この注射を「プラセンタ注射」と名付けました。それをきっかけに、どこからどう聞きつけたのか、この注射を希望する人が大量に来院するようになりました。創業時にはまったく想定していなかった診療メニューですが、プラセンタ注射のみを希望して来院する人たちを「プラセンタエレガントクラブ」と名付け、会員制のシステムを設けました。
平成12年には『お医者さんが考えた一週間スキンケア』(三笠書房)を出版し、それにプラセンタ注射のことを掲載しました。この本は12万部ほど売れ、プラセンタ注射は世の中に普及しました。
当時は、飛行機に乗ってわざわざ四谷のクリニックにまで来院する人がいたくらいでしたが、今では日本中の皮膚科、産婦人科が健康保険と併用する形式で、あるいは自由診療として、プラセンタ注射を行っているようです。

花粉症注射

平成8~9年のころだったと思います。私は新幹線の中で雑誌を読んでいて、ある記事に目が留まりました。
「注射1本で花粉症の症状がなくなる。それも、数時間後から翌日にはもう症状がピタリとなくなる。1か月くらいは症状が出なくて済む」
というのをアピールした内容で、それを実際に行っているクリニックの院長へのインタビュー記事でした。
実は、私自身が花粉症で大いに悩んでいる患者の一人でした。トリルダン(現アレグラ)という薬を内服すると症状は治まりますが、その薬がうかつに手元にない時は大変です。
私は花粉症の辛さを誰よりも知っています。当時の耳鼻科医らの花粉症に対するコメントを呼んでいると、花粉症程度の病気は命に影響するものでもなく、軽いものにすぎないとみなしているようで、「この辛さを理解している医師はいないのだなあ」と思わざるを得ませんでした。
さて、その注射とは何なのだろうと探し始めました。記事からは、副腎皮質ホルモン剤であることはわかります。しかし、注射で利用できて、しかも1か月ほども効き続けているというのが思い当たりません。いくつか思い当たったものがあって、スタッフや自分自身に注射してみましたが効果はありませんでした。
そうしているうちに、ピンとひらめきました。
「症状が1か月もおさまるというのは、薬の効果が1か月持続するというのではなく、その注射により花粉症のメカニズムがいったん解除され、人体内でそのメカニズムを再構築するのに1か月かかるということではないだろうか」
そして、候補の薬を挙げたところ、「これだ!!」というのに行きつきました。そして、診療メニューとして「花粉症注射」が加わったのです。
副腎皮質ホルモン剤(ステロイド剤)といえば、「副作用が怖い」という人がいます。耳鼻科医などは、それを喧伝します。しかし、私は慶応病院の消化器内科にいた時に自己免疫系の腸疾患、肝臓疾患を研究していましたので、副腎皮質ホルモン剤の使用には熟達しています。副腎皮質ホルモン剤は長期連用の際の副作用が問題なのであって、1回限りの投与など、怖くも何ともありません。
この注射のおかげで、私は花粉症の季節が嫌でも何でもなくなりました。この薬の恩恵は、注射を希望して来院してくれる人とも分かち合うことができています。

成長ホルモンによるエイジングリカバリー医療

私がダイエット本のベストセラーを書く少し前、おそらく平成10年か11年ごろのことです。プライベートドクターシステムの会員である動産会社の社長が、私に一つの舌下投与スプレー剤を提示して、「これ、アメリカで買ってきたのだけど、使っていると内臓脂肪が減るみたいで、お腹がへっこんできたんです。どういうものか調べてほしい」と診療中に語り掛けてきました。英語で記載された添付書類を読んでみると、モノは成長ホルモンであることがわかりました。
「えっ、成長ホルモンはもうこんな形式で実践利用されていたのか」と驚愕したのを覚えています。その社長は「出っ張ったお腹がへっこむからこれを使ったらいいよ」と言われただけのようでした。
そのころ、欧米先進国では、成長ホルモンを利用する「アンチエイジングプロトコール」というものがもてはやされていました。しかし、そのプロトコール(診療手順書)は、成長ホルモンの注射による6か月投与を前提としていたのです。実は、私のクリニックでも、すでにプライベートドクターシステムの会員5人ほどに、成長ホルモン注射の治療を遂行中でした。
成長ホルモンは、一言でいえば「若返り」を目的としています。体力、容姿、意欲の若返りです。その中で私が最も重視しているのは、意欲の若返りです。「いいことがありそうな予感がして、ウキウキする。その結果として活動的になり、日々の生活が楽しくなる」というのが最も大切だと思います。そして次に、疲れない身体、強い疲労回復力を獲得することです。
その効果を舌下投与スプレーで得られるかどうかが重要ポイントでした。研究を重ねた結果、答えは「得られる」でした。
それどころか、「筋肉の発達」以外に関しては、舌下投与スプレーも注射もほぼ同等の効果が得られることが判明しました。つまり、ボディビルダーのような身体にしたいのなら注射が必要ですが、それ以外の効果なら注射も舌下投与剤も同じということです。成長ホルモンの効果に関しては、詳細は別に譲ります。
私は大学院生で盛んに動物実験を含む研究活動を行っていましたので、調剤する基礎理論は日ごろから応用していました。ですから、舌下投与剤を私の手元で完成させることができました。
このようにして、成長ホルモンを利用する若返りのメニューは完成したのです。以後、成長ホルモンは、体調管理(疲労回復、体力増強)、容姿管理(肌と体型)、バストアップ、伸長を目的として盛んに利用され、2015年11月の時点ですでに7000人以上が利用しています。副作用らしいものは一例も存在しません。

背を伸ばす医療、低身長治療

一般的には、「成長ホルモン」といえば、「子供の背を伸ばすホルモンである」と答えが得られます。アンチエイジング目的の利用は、平成10年以降のことです。
子供に成長ホルモンを投与したら背が伸びるのか。これが一つの課題になりました。今、一時的に伸びがよくなるというのではなく、最終身長を高くできるかどうかがテーマになるのです。
成長ホルモンが出ないために背が伸びなくなっている子供に成長ホルモンを投与すると、背は伸びるようになります。では、成長ホルモンが出ている子供に成長ホルモンを投与しても、伸び率が高まって、最終身長を高めることができるのか。これが重要なのです。
平成10年ごろから、盛んに研究を積み重ねることになりました。治療と研究を並行して進めることにより、確実な診療体系が出来上がってきました。治療内容の詳細は、別に譲ります。
子供と親に対する治療で最も重要なのは、しっかりとした人体教育を施すことです。背が伸びるプロセス、背が伸びるメカニズム、自分はどのような状態なのか、そしてどんな治療がベストチョイスなのか、それらを家庭教師的に教えていく中で、治療を行っていくというのが背を伸ばす医療であり、低身長治療であるのです。
平成27年11月10日の時点で、低身長のことで当クリニックに相談し、カルテなどで記録が残っている人は、14,345人に上ります。

遺伝子検査

持って生まれた遺伝子が、自分の身体の未来に影響するのは言うまでもありません。というか、今の自分の身体そのものが、遺伝子の結果です。
健康管理指導は、予想医学を土台として行います。予想医学とは、身体の未来像をまさに予想する医学です。その精度を高める上で、遺伝子検査は極めて有用です。
例えば、「採血して調べることができる遺伝子領域のBRCA1、BRCA2に特定の変異があれば、50歳までに87%の確率で、50歳までに乳がんを発症する」のような感じです。
詳細は別に譲りますが、平成15年ごろ、こういった遺伝子検査を行えるようになったので素早く診療メニューの一環として導入したものです。

予想医学カウンセリング

「予想医学」の概念を進歩させたのは、平成13年ごろからだったように思います。命にかかわるある一つの病気に対して、「その病気にかかりやすい」「その病気にかかりうる」「その病気にかかりようがない」という3分類をもって、健康管理指導を進めるようになりました。一つの病気を発症するにあたって、その前提となる体の状態になっていないかどうかを分析するのは、経営者に喜ばれたものです。
経営者というのは、自分の健康が多くの人に影響を与えることを知っています。社会的責任を全うするためには、自分の健康が大切なのです。ですから、健康管理に対しては、独特の思い入れがあります。
しかし、その思い入れを満たしてくれるところはありません。高額の人間ドッククラブなどに入会して、身体を調べても満足を得られないのです。
経営者が、ズバリ知りたいのは、自分の身体の先行き、未来像です。そして、悪い予想に対してはそれを回避する方法です。それらを解き明かしながら、家庭教師風に健康教育を兼ねて指導することの必要性は高まる一方でした。
そこで、プライベートドクターシステムの会員に対してルーチンで行っている採血項目に若干のアレンジを加え、1回限りで最良の指導をできるように取り計らったのがこの予想医学カウンセリングです。平成16年ごろからスタートした診療メニューだったと思います。

診療メニュー一覧

お問い合わせ

予約制となっております。お電話にてお問い合わせください。